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言​語​交​錯

by ukiyojingu

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1.
1994年、京都で産まれた。 産まれた時のことは勿論、覚えていない。 人は生まれてきてから、4年間は記憶を持てない。 私の一番古い記憶は何だろう。 3歳くらいの記憶はぼんやりと頭の中にあるが、 その記憶が確かなものであるという根拠はない。 3歳から7歳までは海外にいたが、ほぼ覚えていない。 小学校の始めの一年は日本人学校だったが、幼稚園は現地の学校だった。 食わず嫌いが激しく、給食が嫌いな私は、よく「悪い子」だと言われた。 幼稚園では筆算まで教えられ、英才教育を詰め込まれた。 きっとその時の自分は嫌がっていたのだろうが、今となっては良い経験だったと思う。 日本に帰ってきて以降、言葉の違いにとても苦しめられた。 関西の言葉と文化に馴染めなかった私は、日本の学校に転校して以降、いじめを受け続けた。 言葉にとても敏感だった私は、必然的に人付き合いが苦手になった。 海外で身につけていた英語力も、努力しなければ1年で失われた。 その後、私には何も残らなかった。 中学校に進学してからは、いじめは酷くなったが、 それなりに少しは楽しく過ごせていたと思う。 いじめの記憶はほとんどない。 いや、どちらかというと、あまり思いだしたくはない。 いずれにせよ、よいものではなかった。 中学から始めた部活動でのテニスはあまりに弱すぎて、後輩に勝てなかった。 神経質な私にスポーツは向いていないと、うっすら思った。 それでも、この間に出会った人達は私を成長させてくれたし、部活動も最後に諦めるまで、なんとか続けた。 とても楽しい記憶だったし、感謝している。 みな、元気だろうか。 元気であってほしいと思う。 大学を卒業し、企業に就職し地元を離れた友達も、気づけば多くなった。 中学でいじめを受けた私は、きっと進学校ならいじめを受けることは無いと思い、地元で3番手の進学校に進んだ。 そのあとの3年間は、今でも思い出したくない時期だ。 人間性と学力が比例しないということを、初めて理解した。 いじめは入学してからすぐに始まった。 中学から続けてきたテニスも、最後には辞めざるを得なくなった。 体調を崩して、カウンセリングも受けた。 私をいじめた人は教育大に進み、今では学校教師らしい。 今でも信じられない。 高校生活は随分過去のことになったが、彼らのことは今でも忘れずにいたい。 きっと、死ぬまで忘れないだろう。 部活をやめた私は、大学受験のさなかで初めてギターに触れた。 自分の思いを歌にできることは、私にとってとても衝撃的だった。 文化祭のために組んだバンドで、初のライブを行った。 あの時のライブの思い出は、今でも私を突き動かしている。 だが、受験は不合格通知の嵐だった。 晴れた顔で卒業していく周りを横目に、泣きながら勉強したことを覚えている。 3月入試で晴れて私大に入学してからの私は、思えば小学校から受け続けたいじめの記憶に縛られ続けた。 音楽を好きになった私は軽音サークルに入ったが、過去のトラウマのせいもあって、 友達を作れなかった。 結局最後には一人になって、サークルもやめてしまった。 居場所を失った私は、ライブハウスに居場所を探し始めた。 伸しかかるノルマ、それを解消するための集客が課されたが、 そもそも人付き合いに苦手意識もあった私には、とても重圧だった。 あまりにも安いアルバイトをしながら少しずつ資金をため、新しいギターも買った。 だけど、どうしても人が苦手な私は衝突を重ねつつ、すり減った。 大学のゼミでも消耗が激しくなっていった私は、4年生で再びカウンセリングを受けることになった。 いま、大学から抜け出せないでいる私は社会に出ず、言葉の使い方を学んでいる。 私はこれまでいくつか、言葉を使った朗読を作ってきたが、それらの全ての言葉には意味が込められている。 言葉は、私達をどのようにでも変えてしまう。 言葉を使う私達は、言葉に対して責任と覚悟を負わねばならない。 言葉で自己表現するのならば、 私達は言葉に自分の全てを注ぎ込むほどの覚悟を持たなければならないだろう。 その覚悟を私たちは持ちうるだろうか。 言葉をめぐる争いはいまだに絶えない。 それでも、私は言葉をかけ合わせながら、交錯されるそれの可能性を、信じるしかないのだ。 止まることなく変化を続ける動態的都市の中を、生き抜くために。
2.
私たちの人生は愛に満ち足りている。 私たちの人生は希望で溢れている。 私たちの過去は、私たちを強く肯定する。 それは事実だ。 それ以外の言葉は何もない。 何も言葉を発してはいけない。 夕日が沈み、素晴らしきこの日々が終わることが、心より恐ろしいからだ。 赤い焦燥感を纏ったまま、強烈な色彩を帯びて西に向かう。 終わってしまうことを恐れている私はその微細に涙を流す。 私を蹴落とそうと、背中を押し続ける人間は誰だ。 微細の無い人間たちの行動には、一切の躊躇がない。 誰しもが、その一部である。 その瞬間を恐れている。 その瞬間を恐れている。 誰一人として欠けてはならず、名前を持ってはいけない。 そうして、私たちは機械へと成る。 緩やかにプログラムを構成する。 夕陽を信仰するように。 彼岸花に恋をするように。 2分間の微細を、忘れないように。 私たちの人生は愛に満ち足りているか? 私たちの人生は、希望で溢れているか? 私たちの過去は、私たちを肯定したか? それは事実か? 失われた微細には、きっと私たちが望んだ全てがあるはずだ。 そこには、全体に回収されることの無い、信仰されるべき私の「個性」がある。 その僅かな瞬間さえも見落とさず、記録することはできないだろうか? その答えは、とっくに分かっていたはずだった。 全体に還元され、消費されていく私たちの「今」を、放置することはできない。 還元されないその間隙は、夕日が沈んでしまうことを恐れる私、そのものの証明なのだから。
3.
1月22日、新宿駅にいた。 大宮行きの京浜東北線に駆け込む人の前で舌打ちをしたあの人は、何者だったのだろう? 考えたところで仕方がない。 京浜東北線を渋谷で乗換え、井の頭線に乗った。 途中で喉が渇き、改札前の自販機で安い水を買った瞬間、急行はすでに出発していた。 時間をつぶすため、売店で何か食べようか考えていたら、 後ろに中年サラリーマンが立っていることに気づかなかった。 私もいずれは、こうなるのだろうか。 きっとそうなのだろう。 人間はいつか、最後に死を迎えるはずだから。 気を紛らわそうと、通信制限がかかった携帯電話をのぞき込む。 不意に目に入ってきたのは、中国の肺炎についてのニュースだ。 やはりここでも、人が「死」を迎えている。 勘弁してくれと思いながらネットを見ているうちに、急行電車が渋谷駅のホームに流れこんだ。 乗り降りする人、人、そして、人。 彼らは何者だろうか。 彼らのうちのどれくらいが、「死」について考えているのだろうか。 渋谷から井の頭線に乗って、下北沢で降りた。 ホームの前ではホームレスと、自作絵画を売る人がいる。 自動販売機を眺めているホームレスはいかにも飲み物が欲しそうだが、他人に興味がない大衆たちは誰も、彼に飲み物を与えようとはしなかった。 だからといって、誰も彼らを責めることはできないだろう。 私も、彼らと同じ「私たち」の一部なのだから。 友人との待ち合わせに指定されたこの場所は複雑な構造な駅舎があるという印象で、改札口を見つけるのに苦労した。 小田急線のホームは、探しても見つからない。 誰かに尋ねようかと思ったが、「他人に興味がない彼らが私に興味を持つはずもないだろう」と、不意に諦めて自分で探すことにする。 彼らを咎めることは私には決してできない。 なぜなら、私も彼らと同じ、「私たち」の一部だからだ。 待ち合わせののち、用事を済ませた私は何となく上野に来た。 コンビニでいつでも飲んでいる缶コーヒーを片手にベンチで休憩していたら、男女のペアが傘袋に手をかける風景が目に入ってきた。 男性の方が誤って傘袋を二重で取ってしまい、余分にとってしまった一枚を使わずに使用済みの袋入れに入れてしまった。 それを見た私は思わず、傘袋を使用していなかった私の傘に、その未使用の傘袋を入れた。 その傘袋を使用しないともったいないと思ったからだが、そう思ったのはなぜだろうか。 「他人」は、未使用の傘袋を見てどう思うのだろうか。 何も、思わないのだろうか。 私たちは何者だろうか? そのようなことを考えている私たちこそ、疑うことのできない存在だ。 私たちは何者でもあるし、そして何者でもない。 それは定義の問題だろう。 私は私を確かめられることを恐れ、人と話すことを避けている。 誰かが私の身体に介入することを恐れている。 だが、私の恐れを一向に理解せず、他者は何も思考することなくただ生き続けるだろう。 生命や死を何も意識せずに、ホームレスに飲み物を分け与えないように、そして未使用の傘袋を捨てるように。 それは私たちであり、そして私たちではない者たちなのだ。
4.
都市の空気感から「身体」を取り戻すことはもうできない。 都市の喧騒が積み重なった巨大な塊の中で生活することで、 私たちは、安らかに終われるだろうか。 技術の発展によって発達する今後の可能性が上がることで、彼の印象は変わりそうだ。 もうすぐ公開されるであろうものがたくさんある。 商業音楽の墓場の上にたくさんある。 ずっと前から、凍り付いていたのではないだろうか。 誰しもが、凍り付いていたのではないだろうか。 目が覚めて間もないので、気づいていない間にライブハウスに行った。 この時代、金銭から逃げることはほぼ不可能ではないだろうか。 のちに回復措置をとって分析してみたら、実際にはそんなものだった。 「ご利用ありがとうございます」といわれ、徹夜して分析してしまったのだろうか。 思い出を思い出のまま記録することは、論理では解明できない直観の領域にいる。 何か靴の中に乗り込めない異常さを、私は感じている。 もはや何が過剰ではないのだ? 私たちの自由が奪われている状態を冷ややかに見ている貴方は、 まるで交通事故を起こした匿名だ。 スケジュールが今日ようやく落ち着き始めたようだ。 自分としては嬉しいことでないか? 思い出を思い出のまま記録することは、論理では解明できない直観の領域にいる。 ほぼ実行とを決定したのか、あるいは売り上げを踏まえてのことなのか? ずっと前に凍り付いていた問題であったが、何かが違う。 身体における都市の在り方は、そういうものだったのではないだろうか。 ずっと前から、そう決まっていた。 被造物では愛を持ってはいけない。 今後の技術発達によって、都市の身体はこれからも変わるだろう。
5.
私たちが自由を手に入れてから、どれだけの月日が流れただろうか。 私たちは、どこまで可能性を持てるのだろうか。 私たちの限界はどこだろうか。 そして、その先には何があるのだろうか。 言葉を扱う私たちは言葉を扱うがために、常に言葉の限界を超えられない。 記号が所詮、記号以上の意味を持ちえないからだ。 私たちが愛して止まない言葉たちはその実、記号でしかなく、機械的に処理されるものである。 だからこそ、私たちはそれから自由になるため、記号に感情を載せようとする。 その多様な表現史が、人間の感情を作り上げてきたのだろう。 だが、全てが不確実なこの時代で、何が感情となりうるだろうか。 感情は、在り得るのだろうか。 その問いかけは、許されない。 私たちは誰しもが、不本意ながらも共通した感情を持っていると信じている。 それによって、私たちはあたかも同じ「人類」であると思えている。 そこから先の自由は保障されず、全員が同じ顔を持った他人と認識され、扇動される。 そうして、自由を失っている。 私たちは、誰しもが感情を持っているように、朝日に感動し、夕日に憂いている。 明日の訪れを神に祈るように、緩やかな繋がりを求めている。 しかし、私たちは感情の全てを把握することは誰にもできない。 誰によっても、そして誰とも共感することができず、そして許されない。 本当は、誰しもが疎外を受けており、孤独なのだろう。 その中で、感情的な表現は本質的に無意味だ。 全ての音の重なり合いは無感情であり、その瓦礫の上には、崇高な論理のみが立ち上がる。 だからこそ、言葉は私たちにとっての唯一無二の救済手段である。 それ以外の全ては許容されない。 私たちは、何者からも自由になれない。
6.
都市は今日も呼吸をしている。 明日も、そして明後日も、決して絶えることなく呼吸を続けている。 呼吸は、私たちにとっては何気ない日常未満の行為だ。 しかし、その継続には意味がある。 言語が交錯される都市の中で、感情を排除し、言語のみを信仰した果てには、全てが記号化された世界が待ち構えている。 その様相はまさしく、私たちの崇高なる論理の具現化であり、完全なる都市の在り方だ。 これもまた一つの終着点であり、可能性である。 しかし、私たちは都市の映像をもって、完全なる結論に至ることはできないだろう。 終点はやがて折り返され、起点となるのだから。 では、もう一度、別の可能性を探求してみるべきだろう。
7.
大阪の交差点上で、聞いたことのない音楽を聴いた。 とても奇妙で、私には崇高なものに思えた。 だから私は、その崇高をこの曲にし、盗作する。 自らの意図をもって、崇高と大阪の交差点を盗作している。 夜景に崇高さを感じるのはどうしてだろうか。 夜は愚衆を溶かし、曖昧な集団への帰属意識を向上させる。 誰もが崇高を肯定し、模倣することで慰めあう。 愛されもしない愚衆たちは、すでに言語への意志を喪失している。 それでも私たちは、手短な崇高を求める。 集合化された崇高はテンプレートとなり、私たちを連帯させる。 そうして、私たちは崇高に縛られて、互いを理解する。 そうして、私たちは再生産されていく。 それこそ、才能もない私たちの崇高である。 それこそ、私たちの唯一の手段たる盗作である。 己の欲望のまま文字を盗み、解釈し、都市に流し込む。 その姿勢こそ、私たちの盗作された崇高ではないだろうか。 盗作された崇高が夜と溶けている。 私たちはそれを敬い、それ以外のすべてを排除する。 それはまるで無意識下で進行する検閲であり、異端者を排除している。 その中で、個人は場所を見失っている。 盗作された崇高が夜と溶けている。 最大多数の最大幸福こそが、私たちの愛おしい崇高だ。 その盗作によって、私たちはさらに高尚な存在になるのだ。 それで、その先は何があるんだ? 大阪の交差点上で、私の愛する音楽を聴いている。 それはとても崇高であり、私の傷をなめるように侵食する。 その曲を盗作する様相は、まさしく崇高とは程遠い行為だろう。 だから私は、その崇高を盗作している。 自らの意図をもって、崇高と大阪の交差点を盗作している。
8.
生み出される言葉たちが潰えていく。 私たちの感情が消費され消えていく。 私はそれを、何も言わずに傍観している。 発された言葉を、誰かが拾い上げているのを待っている。 そうして、私たちの「完全な世界」は作り上げられていく。 左を向く他人が、恨むように皮肉を吐き出す。 それは、弱者が持つゆいつ無二の手段だ。 口を揃えながらマヒした言葉に意味を与え、逆説を繰り返した。 そのすべては、消費される愛情へのアンチテーゼであり、私たちの感情だ。 だが、それらもやがて失われる。 私たちの自由も、私たちの感情も、そのすべては記号として処理され、その内容は均一化されていく。 私たちの言語を取り戻すのか? 愛を語れればそれでいいのか? 生きているのが辛いのか? では、自殺は許されるのか? 私たちの意味を持った皮肉はやがて皮肉とも認識されなくなり、一つの形式を持った言葉として、消費から逃げることはできなかった。 今日も、産業廃棄物となった音楽と言語の一連の繋がりが、意味を失いながら血液のようにめぐっている。 そうして、言葉の在処を失い続けた私たちは、ついには全ての言葉を失ってしまい、沈黙せざるを得なくなる。 だが、私たちにその自由はない。 全てに接続され、計算機が認識可能な記号に処理されるこの時代において、言葉も不在さえも一つの言葉になるからだ。 生きているだけで何かを垂れ流しているという事実から逃げられず、 いとおしい沈黙さえも奪われてしまうのだ。 その果てに逃げ場はない。 そうして、今日も私は口を紡ぐのだ。 感情を記号化した私たちは、誰にも理解されない言葉を抱え、冷凍された都市の血液となる。 事実が塗り替えられ世界が改変されていくこの時代で、私たちの感情は不要な存在だ。 それでも、言葉の向こう側にある感情の表出に、意味はあるのだろうか。 その言葉を誰かが救済してくれるのを、私は今でも待っているんだ。 私のすべてが夕闇に侵食され、凍ってしまうのを恐れながら。 いかにも「素晴らしい」批判意識があふれ出したこの社会の中で、私たちの感覚は麻痺し、瓦礫の山に埋もれている。 私達の言葉を取り戻すのか? 愛を語ればそれでいいと思っているのか? 自由や絆がほしいか? それで、その後はないのか? そんなものは自己充足だ。 対象を見つけ、それを非難することでしか、自らの繋がりと安心感を獲得できない、そんな自己充足だ。 そうして、私たちは「完全な世界」に閉じこもる。 貴方も、私も、そして「私たち」も、この言葉も。 最後に残るのは沈黙と、私たちが愛してやまないアイロニカルな論理のみだ。 逆説すら行う権利を失い、徹底された沈黙の中で、冷え切った瓦礫が嗤っている。 すべての責任は、作り手たる私たちにある。
9.
私は、この記録が伝達されることを願う。 たとえただの時間の消費だとしても、消えてしまわないように言葉を何度でも何度でも繰り返している。 1. 私は何者だろうか? それは私にもわからない。何者であるとも言われたくない。 もっとも、私自身が何者であるかをしめすことができるのは、私以外の人がいることで初めてできることだと思っている。 2.私の年齢は? 1994年生まれの25歳である。 3.私の職業は 2020年現在、私は学生だ。 もう何年も学生をしている。 4.貴方の出身地は? 京都市に生まれた。 その後数年間は海外に住み、その後は大阪の郊外都市に住んだ。 今は再び京都で暮らしている。 5.私の最初の記憶は? 公園の遊具で遊んでいた光景と、誕生日を迎えたときのケーキを食べている光景を覚えている。 だがどれも曖昧な記憶であるゆえに、はっきりしたことは幼稚園くらいからしか覚えていない。 6.私は今まで、何をしてきたのか。 文章を書いたり、音楽を作ったり、いずれにせよ何かを作ることばかりに力を注いできた。 それらの全ては人とどう接したらいいのかについての試行錯誤の結果生まれたものであり、その背景には自分の過去の失敗が積み重なって潜んでいる。 7.私の人生で何を得てきたのか? 過去の失敗をもとに、自分が攻撃されないために無数もの理論武装を施してきた。 結果、自分は過去と比べて見違えるほど強くなっていったと思っている。 8.私の人生で失ったものは何か。 力をつけた代償だろうか、人との感情的な付き合いは格段に減った。 昔やっていたバンドもなくなり、今や独りで独白を繰り返している。 9. 楽しかった思い出はあるか? ライブハウスに出て高いノルマを支払いながらもギターを弾き続けた日々は、きっと楽しかった思い出だろう。 忘れることはできない。 10.悲しかった思い出はあるか? 小学校から続いたいじめの記憶はすっかり過去の遺物になってしまったが、その記憶を忘れることは無い。 あの日の感情をいつまでも抱くことはできない。 今はただ、緩やかな事実と確かな恨みだけが残り続けている。 その過去の上に、私は生きている。 11.目標は何か? 私が今まで作り上げてきたものが、後の誰かに影響を及ぼすことである。 昔はいろいろと出過ぎたことも求めた。 結果を残すことに躍起になっていた。 もしかしたらこの自問自答のような朗読も、私の哀れな自尊心の現れなのかもしれない。 だが今はせめて、疲れ切った日々とともに生きるのだ。 12.目標は達成されたのか? 未だに何も達成したとは思っていない。 そもそも、達成されることはないと思っている。 13.私の人生は幸せだったのか? 私は今、この時点の状況にはある程度満足している。 これ以上を求める権利を、私は持っているのだろうか。 14.遺しておきたい意思はあるか? 遺しておきたいものはたくさんある。 この言葉のすべてが私の意志であり、それは正確には伝わららないとしても、残り続けるだろう。 15. 私は、この記録が伝達されることを願う。 この8分間の自問自答がたとえただの時間の浪費だとしても、消えてしまわないように言葉を何度でも何度でも繰り返している。 終わりなき循環の中に、私の救済があると信じているからだ。 語る資格を失いながらも、私はその先の希望を捨てることができなかった。 そうして、言葉は話されていくのだ。 それが、私の希望だから。
10.
私たちは、私たちの扱う言葉に縛られている。 それらは、常に表現の限界を抱えてきた。 その外部に向かうために、これまで無数もの試みを行ってきた。 「孤独」な」言葉たちは、その先に至るためのものだ。 だが、それらも結局は言語の支配を脱却できない。 私たちは「孤独」になれない。 新しい言葉は常に世界から疎外されたが、いつしか言語はそれすらも取り込んで拡大していく。 いつも、孤独は手に入れた先から失われていった。 私は喪失を繰り返しながら、時間を費やしてきた。 その模索を無駄だといわれることも、少なくはなかった。 私はただ、何かを残したかっただけだった。 孤独な言葉たちは、私たちに外部を知らしめることで、言語の世界の輪郭をなぞり続けている。 それらは、統一を失い、全てが複数化するこの時代の中で、楔たり得るだろうか。 外側に至るまで、私はあらゆる物を否定し、最後には「今ここにいる私」という事実しか残らなかった。 だが、その事実こそ、最後に残る感情こそが、私たちの言語の本質だったはずだ。 だからこそ、言葉は交わされていく。 互いを楔として引き留めながら、そして孤独を求めながら、私たちは進んでいく。 それが、私たちの歴史であり、感情だったはずだ。 それを求めて、私はこれからも何かを作り続けていくだろう。

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released March 31, 2021

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